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キャリア考:ナポレオンを倒した男

ナポレオンは言うまでもなく天才的な軍人で、フランス革命後、ヨーロッパ全域を敵に回し、勝利を重ねた。常に少数で、圧倒的多数の敵を相手に勝利した。フランス皇帝に上りつめるが、ロシア遠征での大敗、エルバ島からの奇跡的脱出を経て、ワーテルローの戦いで連合軍に敗れる。

ナポレオンについては多くの評伝がある。日本でも元通産次官で先日他界された両角良彦氏の『反ナポレオン考』朝日新聞社という名著があり、天才であり奇人であったナポレオンの人となりがよく描かれている。

一方、ワーテルローでナポレオンを倒したウェリントン公爵(本名アーサー・ウェルズリー)の人物像はあまり話題にならない。今回『公爵と皇帝』新潮社という本を読む機会があり、ウェリントンという人物を知ることが出来た。ナポレオンと対照的に地味で堅実、話題に上りにくいのもよく理解できた。

その地味な人物が、なぜナポレオンを倒すことが出来たのか。『反ナポレオン考』では、ナポレオンの誇大妄想、肉体の衰えと精神的疲労に焦点が当てられ、最後は自滅したという流れで描かれている。実際は自滅と言っても、実は際どい敗戦だった。

連合軍は崩壊の寸前まで追いつめられた。しかし疲労の限界に達したナポレオンには、最後の総攻撃の決断をする気力が残っておらず、勝機を逸した。一方、猛烈な攻勢をしのぎ、局面転換の機会が来るまで持ちこたえたウェリントンも優れたリーダーとして大いに注目すべきではないかと思う。

ウェリントンの経歴を知ると、天才ナポレオンと異なり、経験と努力によってキャリアを積み上げたことが分かる。現代のビジネスパーソンのキャリアを考える上で、参考になる点が多々あると思うので、エッセンスを紹介したい。

その1 小さな成功を積み上げて、キャリアのステップを登る

ウェリントンは貴族として生まれるが、それほど高い身分ではなかった。イートン校に入るも学費が続かず、陸軍士官学校に転校し、結果的に軍人となる。軍の階級も、借金して買う有様だった。しかし、それにめげずに遠く離れたインドで軍功を上げる。
やがてナポレオン戦争が始まり、今度はポルトガルに派遣される。本国からは重視されない戦線だったため兵員も少なく物資も十分ではなかった。ウェリントンはその制約の中で見事な采配により、天才ナポレオンを悩ませ、怒らせた。やがてイギリスもウェリントンの奮戦の価値を評価するようになる。

 

その2 失敗から学んだ教訓を忘れない

ウェリントンも初期には幾つかの敗戦を経験している。しかし、そこから多くのことを学び、得た教訓は一生忘れず、手を抜くことがなかった。シンプルなことほど、徹底することは難しい。ウェリントンは常に緻密な計画を立て、その準備の進捗を自らチェックすることを生涯忘れなかった。
特に、攻撃がうまくいかず退却するための準備は周到を極めた。補給品の備蓄、輸送手段の確保、防衛線の構築となど、どんな場合も万全の準備で臨んだ。それが出来ないときは、有利な場所まで躊躇なく退却するという勇気を持っていた。

 

その3 不遇な時も腐らず、次のチャンスを待つ

ウェリントンは若いころ、出世の見込みに乏しいと見られたことから、後の妻に対する最初のプロポーズを断られている。それを受け入れたウェリントンは、自暴自棄になることなくひたすら職務に励む。キャリアアップに成功した結果、数年後にやっとイエスを勝ち取る。

インドでは、連戦連勝の後のちょっとした敗戦で、理不尽にも本国召還となってしまう。ポルトガルではウェリントンの活躍で戦略転換さに成功した結果、本国は年長で位は高いが無能な司令官を送った。ウェリントンはそりが合わず衝突しかかったが、自ら身を引いて本国に帰る。しかし、情勢変化で再登場の機会が訪れた時、ウェリントンは不服一つ言わず、実績で応えた。

 

このようにウェリントンのキャリアは、決して順風満帆とは言えず、ナポレオンの出世街道とは大違いである。不遇な時も、腐らず、投げ出さず、忍耐強く、次のチャンスを待つことの重要性は今も変わらない。特に不遇な時に、次のチャンスで必ず成功をつかみ取るだけの実力を養うことは重要だ。

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